カスタマーレビュー
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アンドレイ監督とは別に独立した価値のある詩集 
(2008-01-27)
アンドレイ・タルコフスキー監督の父親、としてしか知られていなかった詩人の全体像がやっと日本語で読める。うれしい。この次は、イタリア文学者にベルトルッチ監督のお父さんの詩集を出して欲しい。
黄色い舌をゆらめかせ
蝋燭がゆっくりとけて流れてゆく。
そうやって僕たち二人もいきているね、
魂は燃え、肉体は溶けゆく。
「すぐにマッチは僕の両手の中で燃え尽きるだろう・・・」 
(2008-01-14)
私を含めた多くの日本人は、この詩人を、『アンドレイ・ルブリョフ』や『ノスタルジア』、『サクリファイス』などで知られるロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキー(1932〜1986)の父親として、そして、彼の映画でその名と詩が度々登場した詩人として知った筈である。映画監督タルコフスキーにとって、父の詩がいかに重要な意味を持って居たかは、例えば、この本に収められた以下の詩から伺える。
−−金色の小鳥のように暗がりにふるえる炎、すぐにマッチは僕の両手の中で燃え尽きるだろう。どうやら、そんな、僕には永遠に愛しい青い小さな心が、その炎に宿っている。そしてこのゆらめく光のもと、たとえそれが両手から落ちても、僕はひとつのしるしをたよりに、まわりのすべてを知るだろう。残念だ、蝋燭も、マッチももうない、小さな煙の輪へと巻きゆく黄色い光。楽しみもない、まばゆさもない、ほんのわずかなあいだだけれど、僕への贈り物となる最後の炭のかけら。おお、僕が詩にともした一瞬の焔(ほむら)が儚いマッチにおとらず、君に喜ばれて生きたなら!(本書70〜71ページより)−−
映画『ノスタルジア』を観た人なら、この詩が、『ノスタルジア』の最後で主人公のロシア人が蝋燭を手に持って死を迎える場面に符合する事に気が付いて、驚く筈である。これは息子が父の詩にいかに傾倒して居たかの一例であるが、私達は、この詩人を、最早、アンドレイ・タルコフスキーの父としてではなく、独立した存在として知るべきである。本書を推薦する。
(西岡昌紀・内科医)
『鏡』や『ノスタルジア』で引用されている詩が読めます。 
(2007-12-05)
言わずもがなのことだが、この詩集を手に取ったりする人は、
まず間違いなく映画監督アンドレイ・タルコフスキーに相当入れ込んでいて、
『鏡』やその他の映画で繰り返し引用される父アルセーニーの詩を
一度はきちんと読んでみたいと思っていたはずだ。
私もその例外ではなく、この詩集を見つけた瞬間に迷わず買ってしまった。
まだ若い訳者に感謝したい。
マヤコフスキーやフレーブニコフといった、
ロシア革命を彩るきらびやかな前衛詩人たちに比べると、
その後に続く時代に書かれたタルコフスキーの詩にさほどの難解さはなく、
むしろ古典的な叙情性を感じさせるとはよく言われることだが、
訳者のおかげもあってか、この詩集に収められた作品はいずれも
まず日本語として美しく、息子アンドレイの映画からは独立した
アルセーニー独自の世界を感じさせるものに仕上がっていると思う。
(もちろん、引用の元になった詩を探して楽しむことも可能だ。)
また、本書において、註の存在を示す印が本文中に記されずに、
各々の詩篇の末尾にまとめられていることにも、訳者の配慮を感じた。
通常、思い入れが深ければ深いほど註が煩雑になり、
本文が記号だらけで読みにくくなってしまいがちなものだが、
読者の皆が皆、研究者というわけではないのだから、
もう少し、独立した詩として読めるものにしてほしいと思ったり、
注釈者の独占欲みたいなものが感じられて、
いささかげんなりしてしまったりもすることも多い。
本書の方式は、他の訳者や注釈者にもぜひ採用してもらいたいと思う。