カスタマーレビュー
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フィッツジェラルドへのレクイエム 
(2008-04-21)
村上春樹さんは小説よりもこのフィッツジェラルドにまつわる評論や訳文の方が
失礼ながらも面白いと思える。
フィッツジェラルドが好きだからではなく、たぶん彼が村上さんの血と肉に
なっているからだと思う。
おとぎ話のような出世から結婚、そして不如意な晩年までを村上氏は追いかける。
その目は不幸な作家に対してただひたすらに南部の陽だまりのように優しく明るい。
この本が書かれたころにフィッツジェラルドの一人娘さんが亡くなった。
彼女の存在は村上さんのフィッツジェラルドの妻ぜルダの伝記
(最初は世界の女性の一生のシリーズの短編だった)を読んでから
気になっていたのだがその消息もこの本に書かれている。
思えば村上さんのおかげで自分もフィッツジェラルドと付き合っているのだ。
誰の言葉だったか「作品よりも自分の私生活を語られる作家は不幸だ」と聞いたが
ここまでの愛情を持って語られるならフィッツジェラルドの
破天荒で不幸な人生も満更ではなかったかもしれない。
本人は墓の下で照れているのか拗ねているか判らないのだが。
フィッツジェラルド・好きになりました! 
(2007-02-20)
「グレート・ギャツビー」の感動さめやらずで思わず手にして見たこの本。
スコット・フィッツジェラルドの関連する地を村上春樹が訪れた記録
スコットとゼルダの人生の紹介
スコット・フィッツジェラルドの2つの短編
という構成で本ができている。
村上春樹がいかに、スコットフィッツジェラルドを尊敬してやまないかと言うのが
全編を通して感じられる。
巡礼、ではないけどそれに近いものをやっているしね。
そして、一番魅力的なのが、スコットとゼルダの人生について。
とくにゼルダの描写がとてもうまい!
それほど顔立ちが際立って美人でもないけれど、彼女のヴァイタリティには
磁場のようなものがあって・・・
ととても魅力的に描写している。
個人的にはNYでの馬鹿騒ぎの写真とかエピソードをもっと知りたかったきもする
けど、それは別の本で調べた方がいいんだろうな、と思った。
短編も、情景描写がうまいんだろうな。スコットは。
読んでいると、まるでそこにいてみているような感覚にとらわれてしまう。
とても1920年代に生きていた人とはおもえないくらいに、ありありと。
機会をみつけて他の本もトライして見たいと思う。
やっぱりでも、翻訳小説独特のとっかかりにくさっていうのはあるんだけどね・
あっさりとした重み 
(2007-01-28)
紀行と翻訳と人物史を一冊に書きこめる作家というのも村上春樹ぐらいしかいないのかも知れない。読みながら何度もそう思った。
フィッツジェラルドの生涯を辿りながら村上春樹は旅行している。その様は 他のレビュアーの方が「巡礼」と表現されていたが 正しく「巡礼」のようだ。その間にフィッツジェラルドの短編を挿入し フィッツジェラルドの妻の生涯も簡潔に纏めている。各編ともあっさりした味わいながら 湛えた一種の「哀しみ」は通常低音のように響いている。
村上春樹は レイモンドカーバーの翻訳で名高くなったわけだが 実は このフィッツジェラルドから翻訳を始めていたということは案外知られていないかもしれない。「マイロストシティー」という綺麗な翻訳短編集を読んでいると 村上がフィッツジェラルドの持つ「哀しみ」に いかに共鳴していたかを強く感じる。
その上で 本書で じっくりフィッツジェラルドを辿っていく村上の姿には極めて誠実なものを感じる。そう 村上春樹は 非常に誠実な作家なのだと思う。
各編はあっさりしていながら 読み終わると ずしりと重い。その重みは 村上のフィッツジェラルドへの思いの 重さなのだろうか?
S.フィッツジェラルドをめぐる旅 
(2007-01-09)
もうすでに亡くなった作家の影を追うことは、
なんだか切ないと感じました。
本書を読むことで、S.フィッツジェラルドという人物をあらかた知ることができます。
また、妻であるゼルダについても、知ることができます。
村上さんが訳した2つの短編もついています。
私は、これから村上さん訳の「グレート・ギャッツビー」を読みますが、
事前にS.フィッツジェラルドのことが知れてよかったと思いました。
スコット・フィッチジェラルド研究の集大成と短編二つの翻訳 
(2005-01-23)
1991年の初めから、約2年半にわたって氏はアメリカ、ニュージャージー州プリンストンに住んでいる。この地を選択したのはF・スコット・フィッチジェラルドのためであることは村上氏の小説好きならピンとくるところである(この時の様子を綴ったエッセイが『やがて哀しき外国語』だ)。
本書は氏のまもなくスコット・フィッチジェラルドの没年(44才)にならんとする年までのスコット・フィツチジェラルド研究の集大成と短編二つの翻訳からなっている。こつこつと積み重ねられた文章は最高のスコット・フィッチジェラルド研究になっている。さすがは最後はその地に住んでまでやり遂げたことはある。
これからも、ゆっくりとゆっくりとスコット・フィッチジェラルドの著作を訳して行きたいと氏は語っている。60才までには『グレイト・ギャッビー』を訳してくれるようだ。
僕は『グレイト・ギャッビー』だけでなく是非とも氏の訳した『夜はやさし』を読んでみたいなぁ、と願う氏のファンの一人だ(●^o^●)。