カスタマーレビュー
おすすめ度:
祝祭の通俗性を打破した強烈な個性!! 
(2008-03-22)
確かこのDVDを最初に耳にした!?のは、
山梨県の某町へ親類を訪ねて移動している車中でのことだったと思う。
なにせ、辺りも暗くそして道にしこたま迷っていたため、
さてどうしたもんだな、と思っているところに、
ガンガンにかかっていたのが本DVD(の音)なのである。
その時に感じた異様なまでに表出性の強い演奏は、
車中の音楽といえども、強烈に印象付けられるものだった。
改めて映像版を見直してみると、
やはりアーノンクールの音がはっきりと前面に押し出されていることに気づく。
とりわけ、踊りのための音楽(舞曲)に限定された制限枠の中で、
ウィーンの音楽史を伝統に基づいて過激に再現していく様は圧巻。
やはり彼はウィーン中心主義というべきか、
あるいはオーストリア=ハンガリー帝国の栄光というべきか、
音楽の拠って立つ伝統に対して執拗に歴史的一貫性を求めているように思えて仕方がない。
目が大きく見開いているように見える指揮姿も、
そうした伝統への回帰、執着、拘りの表出と取れなくもない。
果たしてこの音楽が鳴り響く中で、
安穏とダンスに興ずるなどということができるのだろうか?
祝祭空間を求めるニューイヤーコンサートというものに、
また国際的な音楽ビジネスに取り囲まれているなかで、
この演奏はアーノンクールの「反抗」を記しづけるものだ。
国際都市ベルリンで戦後ドイツ音楽の主軸を担ったカラヤン路線に敗北して、
保守的な都市ミュンヘンで反抗し続けたチェリビダッケが、
音楽の響きの中に計り知れない静寂を嗅ぎつけと同じように、
アーノンクールは国際的に受ける演奏曲目を取り上げるというよりは、
ウィーンの音楽的な伝統の再発見・再発掘作業を通じて、
現代では忘れられてしまった過剰な響きの金脈を掘り当てようとしたのではないか。
こうした舞台を見せつけられてしまうと、
2002年の小澤の指揮など、一陣の風にも恐らく値しないものになるだろう。
祝祭的気分皆無の壮大なるウィーン賛歌 
(2008-03-16)
アーノンクール2回目のニューイヤー・コンサートの映像。
アーノンクールのニューイヤーについては2001年で可能性は尽くされているのでは?
と勝手に思い込んでいたのだが(NHKの放送も見たが、テレビのプアな音響のイメージもあって
食指が動かなかった)、今回大幅にプライスダウンしたので購入した。
ヨハン・シュトラウス一世、二世に加え、シュトラウス二世の実弟:ヨーゼフ・シュトラウス
ウェーバー(=ベルリオーズ編曲)の「舞踏への勧誘」(ウィーンにワルツが流行する30年前に
作曲された!)、ブラームスのハンガリー舞曲5番・6番といった選曲。このプログラムは、
「ウィーンの舞曲受容の歴史」とでも言うべき芸術的にも音楽文化史的にも意欲的なもの。
アーノンクールは、ルネサンス以降、後期ロマン派に至までの(芸術音楽としての)舞曲の
変遷を学問的に把握し、それを実際の音響に仕上げることができる人だ。ニューイヤー特有の
祝祭的な気分は2001年よりも徹底的に排除されており、至る所でオーケストラ表現の
限界に挑戦するような積極的な指揮振りである。
すべての楽曲が、ブラームスやベートーベン、メンデルスゾーンといった一流作曲家の
序曲・交響曲・交響詩と同じ方法で解釈されているから、実にシンフォニック!
ウェーバー=ベルリオーズなどは、
「ベルリオーズがもう1曲交響曲を書いていたらこのワルツを楽章に採用したのではないか?」
と思わせる異様な訴求力を持つ。
アンコールは「美しき青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」。後者では2001年と同じく、
指揮者は観客席に向かって手拍子のダイナミクスを指示する。
ウィンナワルツ・ポルカ、諸舞曲の「通俗性」を完全に否定した純音楽的な演奏であり、
それゆえアーノンクールのウィーンの音楽伝統に対する熱い思いが伝わる。
観客の熱狂も指揮者のウィーンへの<愛>を理解したがゆえのものだろう。