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人が人を愛することのどうしようもなさ

TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)

グループ:DVD /ランキング:1151
価格:¥ 4,242
発売日:2007-11-21 /通常24時間以内に発送

カスタマーレビュー
おすすめ度:
みんながみんな、ただ一人に…  (2008-08-21)
深作監督「おもちゃ」の芸者役も大好き。ナイスレスポンス!運動神経すごく良さそう。
舞さんの裸、綺麗。もう、服はいらん。見る側に幻滅させない、稀有な女優さんです。
独白シーンには、賢そうな理屈っぽい表情がハマります。
(若かりし頃に飛び級したとかいう、アメリカの人工おっぱい女優みたいにならないでね。)
産院のダークファンテジー。私も母親だから、分かるところはあります。
成人指定映画、文芸エロスという表現が、しみじみ合うなあ。
「穴だけありゃいい」と隣でホザくヤローを無視して、ラストシーンで泣いてしまった。
名美のすすり泣きが耳にこびりついて離れません…哀しいのに、この明るさはなんなんだろう。
私も岡野を呼びつけたい……


“過剰露出”の意味は?  (2007-11-21)
まず、ミステリアスな“B級エンターテイメント作品”としてはなかなかの出来栄えである。
ネタバレになるのであまり細かいことは書けないが、2重3重の劇中劇というプロットが、巧みで、面白い。ラストに至る展開まで楽しめた。しかも、そうしたプロットを組み立てることによって、この作品そのものの出来にもエクスキューズが与えられる結果にもなっているし…、というのは少々穿った見方というものだろうか?

…で、なにかと話題の、主演女優の“裸体露出”について。
この“余りに過剰な裸体露出”は確かに過激ではあるのだが、そこで製作者(主演女優も含め)が意図したのは、ただ単に観客のスキャンダラスなものに対する猥雑な好奇心を煽り、満足させるということなのか?それとも、主人公の女性の普段は抑圧されている内面的狂気をそれによりさらけ出し、より作品に芸術的深みをあたえようとしたということなのだろうか?
もし前者の場合ならば、その意図は十分に成功しているだろう。いくら18禁とはいえ一般映画でここまでやるか?というポルノチックなシーンのオンパレードだし、それに対し主演女優も「何故に?」と思えるほど応え、とにかく脱ぎまくっている。が、もしそれが後者であるとするならば、製作者は描き方として明らかに努力する方向性を間違えているというのが、私の感想だ。
このぐらいの面白いエンターテイメントを組み立てる力のある監督ならば、(同じ物語であっても)別な表現法でより深く“人が人を愛することのどうしようもない”世界の狂気や悲しみを描けるのではないかという気がするし、異なる見解をお持ちの方もおられると思うが、私にとって本作に見られる“過剰で過激な露出”は、“結果として観客のスキャンダリズムやセンセーショナリズムに対する興味の中に搦めとられてしまうもの”を超える、表現としての必然性も説得力も感じられるものではなかったからである。


凄い  (2007-11-18)
一言で言うなら圧巻、凄いに尽きる。
映画という独特のフィルムでなければ表現できない絵の迫力、存在感。
石井隆や佐々木原氏の「映画フィルム」であることへの執念を感じる。

そして名美と岡野のそれこそどうしようもない程の美しさ。
無様なまでに異様な形に見える根底にあるのはどうしようもない人間の純粋さ。
それが最後に人間の持つ複雑な感情全てを成し遂げて、ひとつだけポツンと残る。
純粋で不器用な魂だけがポツンと残る。
それがたまらなく愛おしい。
そのどうしようもない愛おしさに泣いた。
愛おしい映画です。

喜多嶋舞がとてもよい  (2007-11-16)
作品内容については、もうすでに他のレビュアーの方が高い評価をしているので、とくにそれに付け足す点はないです。
このDVDで一番お得なのはやはり音声解説だと思う。監督とプロディーサー、および岡野役の津田寛治氏
の三者によるコメンタリーは作品の内容にとどまらず、意図や舞台裏であったことなど、映画を観るために必
要な有益な情報多し。実は名美が包丁もって立っていたなんてのも、このコメンタリーを聞くまではわからな
かったし。
そして、廃墟の病院でのエッチシーンや冒頭の電気ショックの場面、そして電車での大また開きなど喜多嶋
舞さんの熱演に拍手。

石井隆が土屋名美を描くことのどうしようもなさ  (2007-10-20)
石井隆の映画に土屋名美が出ると空気が変わる。そして独特の風が「ヒューっ」と吹く。
ずっと封印され続けていた“名美”とスクリーンで再会して、改めてそう感じた。

石井隆の劇画に登場した土屋名美は、ひとりの女優として石井隆のイマジネーションを具現化するために渾身の演技を繰り返した。
そしてそれらが原作として映画化されると、生身の女優たちが土屋名美という女優を凌駕しようと渾身の演技を披露する…そんな入れ子現象が起きる。
そこに、独特の風を産み出す作用があるのではないかと思うのだがどうだろうか。

「人が人を愛することのどうしようもなさ」という言葉は、石井隆が自作を語るたびに口にしていた作品世界の普遍的テーマだ。
『天使のはらわた』も、『死んでもいい』も、『ヌードの夜』も、『夜がまた来る』も、『GONIN』も、『花と蛇』も、
裏タイトルを付けるとすれば、全部「人が人を愛することのどうしようもなさ」だ。
今作は自らの普遍的テーマを映画のタイトルにしてしまったのである。
映画を観る前にこのタイトルを聴いた時、作家としての名美名美(?)ならない決意と覚悟を感じた。そしてその予感は、当たっていた。

封印を解かれて解放されたのは、土屋名美ではなく、実は石井隆だったのかも知れない。
そして、その試みが実現したのは土屋名美という女優の魂と覚悟を一身に受け止めることのできる生身の女優、
喜多嶋舞との再会、存在なくてはあり得なかったであろう。
どうしてここまで演れるのか…目を疑うような演技も迷いなく突き進むその迫力は歴代名美女優の中でも突出していた。
彼女もまた「土屋名美を演じることのどうしようもなさ」に憑き動かされ、その運命を受け入れていたに違いない。
でなければ、あの素晴らしいミューズぶりの理由を説明することは不可能だ。

今作『人が人を愛することのどうしようもなさ』は、石井隆の世界とは何ぞや、というエッセンスを凝縮した一本だ。
名美の告白という進行形式を通して吐露された言葉の数々によって、石井隆の繊細なメッセージがフィルムの中に刻まれている。
どうして石井隆が土屋名美を描くのか、どうして石井隆が映画を撮り続けるのか…そうすることのどうしようもなさが名美によって代弁されている。
後年、石井隆とはなんぞやと語られるとき、この作品にスポットが当てられることは間違いない!



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