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ためらいの倫理学―戦争・性・物語 (角川文庫)
内田 樹
角川書店

グループ:Book /ランキング:17594
価格:¥ 660
発売日:2003-08 /通常24時間以内に発送

カスタマーレビュー
おすすめ度:
内田樹はスゴイぞ。  (2007-12-20)
一読して「ヒデぇな、コリャ」とちょっとがっかり。この人の書くものは読みやすく、読む人を惹きつける力はある。おもしろい。前々からそう思っていたから、読んでみたのだけれど、その「おもしろい」の次元が「笑える」という程度に過ぎないな、というのが一読しての印象。部分々々には「一理あるな」と納得させられるところがあるのだけれど、肝心の結論のところで――フェミニズムへの批判にしても、宮台真司に対する批判にしても――完全に敗北している。「あぁ、上野千鶴子なら〜〜と言って事も無げに反駁するだろうなぁ」「宮台ならこういう反論であっさり覆してしまうだろうなぁ」ということが、あまりに容易に想像がついてしまう。そういう意味で「内田樹は意外にもあまり知的レベルが高くないぞ」と思いかけてしまった。しかし、時間をかけて考えるうちにこれがこの人の作戦なのではないか? と思い始めた。内田樹の伝えようとしていることは結論にあるのではなく、部分々々の「一理あるな」と納得させられるところの方じゃないかと……。つまり。「これはシロート向けの駄文ですから」というエクスキューズを表面的なスタイルにとっておいて、しかも結論ではあたかも無自覚に馬鹿なことを言っているかのように見せ、「ハナシにならんな」と鼻で笑わせておく。しかし、内田が一番やりたいことは、その結論の馬鹿馬鹿しさ(失敬!)にすら気づかない層もふくめた幅広い読者たちが、結論以外の「一理あるな」と思わされる部分等をもとに疑問や想像を膨張させて「既に決着済み」とされていることにも再考を始める、そういう「揺さぶり」に狙いがあるのではないか。たとえそれが完全に自覚的ではないにしても、それこそ筆者が繰り返し引いているレヴィストロース言うところの「野生の思考」に通じるではないか。内田樹、おそるべし。しかし、それでも結局この人のしていることは「ネガティヴ・キャンペーン」の域を出ない現状批判であって、具体的な対案は何一つ示されない。それで星1つ減らして、4つです。

キレがいいというより、見かけだけ重そうな感じ  (2007-11-08)
内田の本はこれで2冊目だけど、正直言って今回はダメ。
古いので、今は彼も変身しているかもしれないが、なんといっても鈍牛のようなキレの悪さ。かといってずっしりとした重厚な論理展開もない。
上野千鶴子は別格としても、フェミニズムなんて、論破したり解説するのではなく、無視すればいいのではないか。
他の論文も、「よくいろいろと読んでますね」という感じだけで、別段これといったキレはない。
でも、もう少し彼のことは見守っていきたい、というところか。

ちょっとした「不満」  (2007-10-03)
この人はいつもチクチクとフェミニズムに対する嫌悪感を表しますが
あまり賢明とは思えません。

正義を御旗にし応答しない不正を声だかに糾弾するというイメージがあるようですが、
フェミニズム理論からすれば貧困なイメージだといわざるを得ない。
そういう人もいることは否定しませんが(よくメディアに出るし)
彼がそういうイメージを再生産する言説を吐き続けることで
かえってそういう貧困なフェミニズム像を本当のフェミニズムだと勘違いする人が
増えてしまうように思えます。

フェミ倫理学のひとつ「ケアの倫理」などは
彼の好きなレヴィナスのそれにだいぶ近いと思いますが。

右から来たものを左に受け流す思想家のその身体技法を味わえ  (2007-09-26)
内田樹という思想家は
「固執しないことに固執する」あるいは「立場をとらないという立場をとる」思想家ではないだろうか。
彼がプチブレークした「九条どうでしょう?」ではその独特な切り口で「九条このままで何か問題でも?」という論を展開し一躍脚光を浴びた。
日本の外患内憂という、内政と外交の統合できない、矛盾した状況。
矛盾を矛盾のまま維持しておいたことに戦後約60年の日本の平和があったというのが彼の結論だ。
この「矛盾を矛盾のまま維持しておく」こと。
これは彼の初期の作品、この『ためらいの倫理学』から通じる彼の思想のエッセンスである。
例えば、売春の是非について。
売春という性の商品化から少女を守ろうという反対派の意見もありながら、
現に売春で飯を食っているセックスワーカーの人権はどうすればいいのか?という肯定派からの反問も出てくる。
この問題への彼の提言はいたってシンプル。
つまり「セックスワークで生計を立てている女性の人権を保障しつつも、少女たちを売春から守る」ということである。
いっけんこれは「何も言っていないではないか!」という気がしないでもない。現にそういっている知り合いもいる。
しかし矛盾した状況の矛盾した様をかみ締めること、それが彼の思想の根幹であるのではないだろうか。
そしてさらに突き詰めていけばそれは、彼が「世界は変えられない(変える必要がない?)」という経験的認識と
「確定事項の状況下でいかにましにふるまうか」という倫理をあわせもっているからではないだろうか。
ペシミスティックに聞こえるがそれらの源流にあるのは、
前者は彼自身あまり語らない(語りたがらない?)学生運動へのコミット、
後者は彼自身が師匠と仰ぐユダヤ人哲学者レヴィナスの思想ではないだろうか。
卵が先か鶏が先か。両者がどのように結びついているのかはわからないが、今後も注目の思想家であることには間違いない。


自己の正義の無謬性を疑え  (2007-09-17)
著者には失礼ながら、この本の内容を一言に圧縮するなら「自己の論・正義を無謬だと思うな」ということだろう。
そうした点から、「審問の方法で正義を語り、他人を糾弾する人」「自分を社会の外側において、ある種の超越者の立場から正義を語り糾弾する人」がびしびし批判される。
さらに具体的には、アメリカの正義の戦争を認める人(ソンタグ)や逆に戦争責任を追及する人、フェミニストなどが批判されている。

そうした「審問の語法」の裏に、レヴィナスの思想とその問題点、さらにその思想の(意図的?)誤読があるというのは興味深い。

最後のカミュの分析はわりと面白かった。


要するに正義を信じ込みすぎてはダメということですね。常に正義を疑い続けないと



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